茶道の心を表す言葉 和敬静寂(わけいせいじゃく)

  和は 調和の和 人と人 人と自然 すべてにおける和の精神であり 自分を和す心をもつこと。                  

  敬は 相手を敬うこと。相手を思い ゆずり合う心 慎む心 平常心であり穏やかな心をもつこと。

  清は 清掃 清潔 外見だけでなく くもりのない清浄な心の美しさをもつこと。

  寂は 静寂であり 自分と向き合い みつめ 己の心に問う大切な時をもつこと。 

  茶道の美意識 「侘び、寂び」

     己を知って足るをしる心 

     正直に慎み深くおごらぬさま

     相手を思いやり もてなす心で 相客に心せよ と茶の道は伝える。

     

茶道の歴史

  奈良時代 遣唐使 留学僧が薬用として持ち帰る。

  平安時代 臨済宗 僧栄西が 茶の種 道具一式 点て方を日本に伝える。

  僧から公家 武士に広がる。

  足利義政の時代 茶の湯の形となる。 同仁斉(銀閣寺東求堂)書院式茶道

  指導したのが村田珠光 大徳寺の一休禅師の弟子となり禅を茶の湯の思想とする。 

  武野紹鴎が珠光の茶を受け継ぐ。書院台子を中心とした東山流

  北向道陳に師事していた利休が紹鴎の門下に入る。

  織田信長の時代に茶道の指南役 茶頭となる。 千利休 

  豊臣秀吉より 利休居士を授かる。

  秀吉との深い人間関係のなかで 70才の時 切腹を申し渡される? 理由?

  利休の死後 息子少庵が千家再興許される。早くに隠居

  利休の孫 宗旦(乞食宗旦)受け継ぐ。三千家をおこす。千家十職の基を開く。

     不審庵を三男 宗左 表千家

     今日庵を四男 宗室 裏千家

     官休庵を次男 宗守 武者小路千家

利休居士と縁の深かった人々(信長 秀吉 家康の戦国時代の登場人物)

  山上宗二     利休の第一の弟子 

  細川三斉(忠興)

  高山右近

  加藤清正

  古田織部

  小堀遠州

  本阿弥光悦

  

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